火曜日, 11月 14, 2006

翻訳会社設立までの経緯

僕は2001年の6月に大阪市内の特許事務所(以下、A所と称する)に入所した。

実は、失業していて新聞広告を見て、応募したら採用された。特許の「と」の字も知らなかったし、明細書の「め」の字も知らなかった。

明細書翻訳はオンザジョブで覚えた。

A所では、直訳が好まれた。というか、直訳っぽかった。

「~のように~する」という和文は、「is xxx in such a manner that xxx」という風に訳した。

その後、直訳のクセが直らなくてずいぶん困った。

次に入所した特許事務所(以下、B所と称する)では、弁理士1名の事務所だったけど、弁理士の人が英語が分からないので、指導を受けなかった。トンチンカンなことを言われた。

弁理士の中に、これほど英語が分からない人がいることをそのとき知った。

その次に入った事務所は、それまでが機械系の技術を扱っている事務所だったが、化学系の技術を扱う事務所(C社)だった。

僕は自分の意志でその事務所に転職した。その頃は、フリーランスとして独立するつもりだったので、翻訳ができる分野を広げたかったのだ。

その事務所には4ヶ月しか在籍しなかった。

入所して3ヶ月後、試用期間が延長された。1ヶ月猶予を与えれたが、正社員採用される様子がなかったので、僕は退職を選んだ。他に認めてくれるところを探そうと思ったからだ。

そして、僕はフリーランスになるか、どこかの事務所にとりあえず入所するか迷った。1社トライアルを受検して、結果合格し、採用すると言われ、「入所前だが、1件急ぎの案件がるので、翻訳してほしい」と言われ、大急ぎで翻訳をした。

その後、面接をするといわれて、その事務所まで行ったが、「採用すると行ったが、自宅待機してほしい」と伝えられた。「へんっだ」と思った。

僕にはフリーランスになるしか道が残ってなかった。

だからフリーランスとなって、会社組織にすることにした。

まぁ僕一人しかいないけど。

こういうわけで僕は自分の会社をつくることになった。いつかはフリーランスになりたかったので、とにかく目標は達成した。

とにかく僕は3社の特許事務所を経験した。すごく良かったと思っている。

直訳を好む事務所もあれば、弁理士が英語を分かっていない事務所もあれば、和文原稿は完璧であって、英語にできなければ翻訳者が悪いと考えている事務所もあることが分かった。

半導体からパドルゲームから光学装置から医療機器から様々な明細書を翻訳した。

現在の生活は、登録している翻訳会社1社から仕事をもらっている。ここの翻訳会社とは半年前ぐらいにお付き合いが始まった。

僕は、この翻訳会社からの仕事をいただいて、大体、1ヶ月先までスケジュールが決まる。

今の目標が2つある。

1.登録する翻訳会社を3社にすること。
2.翻訳単価を上げること。

1に関しては、1社でも仕事は十分と言えるのだけど、もし(本当にもし)この翻訳会社が倒産でもしたら僕も連鎖倒産だ。
2に関しては、同じ仕事量で収入が増えるわけだから、単価を上げたい。それに僕一人しかいないので、1ヶ月で翻訳できる量が決まっている。だから仕事量が限界に達すると、それ以上の収入増が見込めないことになる、からである。